北里柴三郎記念館
北里柴三郎記念館
小国町出身である故北里柴三郎博士の生家や、博士から小国町に寄贈された北里文庫(図書館)を改修し、偉業をたたえているのが北里柴三郎記念館です。
この施設は生前、博士が大正5年に建てた貴賓館、北里文庫があった敷地に、昭和62年、博士の学問を受け継ぐ北里研究所、北里学園が中心になって博士の生家の復元修復を行うとともに、北里文庫の建物を利用して博士に関する遺品などを陳列し、小国町に寄贈されたものです。
博士の生家の一部
明治28年(1895)両親を東京に呼び、空き家となっていた生家を昭和40年の河川の改修工事にあわせて移築・復元されたものです。現存するのはその一部です。
貴賓館
北里文庫建設と同時に建てられた和風木造2階建物で、小国杉の大木によって建てられています。大正5年8月10日の落成式には、博士は一家をあげて参列し、ここで数日過ごされました。
北里文庫
大正5年(1916)、博士が私財1万円余を投じて、郷里の青少年に贈りました。
当時、熊本県立図書館につぐ大図書館と言われ、蔵書数1,511冊と記録にあり、終戦時までよく利用されました。木造洋風建築120平方メートル。
北里柴三郎 プロフィール
日本が誇る世界的な医学者北里柴三郎は、嘉永5年(1853)総庄屋北里惟信の長男として北里村(現小国町北里)に生まれました。
明治4年(1871)熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。
帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設、昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。
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追加情報
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お問い合わせ
小国町役場 産業課 商工観光係
電話番号:0967-46-2113
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